12月も近づくと、そろそろ忙しくなりますね?
12月になると、クリスマス、年末と色々イベントがいっぱいです。
冬休みの前に一休みという感じで、12月23日の天皇誕生日がありますね。
考えていたら、ふと、素朴な疑問が浮かびました。
歴代の天皇誕生日って、全部祝日なのでしょうか?
うん???
今の天皇陛下は125代目ということなので、
125代分の天皇の誕生日が祝日だったりすると・・・
凄いカレンダーができますね。
わーお、365日分の125日が祝日???
つまり1年間の1/3が祝日?
そんでもって、土曜日と日曜日も休みなので、ほとんどがお休みになってしまいますね。
もしそうだったら子供は喜ぶでしょうね?
でも、そんな訳ないですね。^^
今回は、天皇誕生日の由来と祝日に変わるまでの経緯をお話したいと思います。
天皇誕生日の由来
天皇誕生日を祝う行事って、いつからあったんでしょうか?
「子供に伝えたい年中行事」という本によりますと、
「国民の祝日に関する法律の施行前には、天皇の誕生日は
天長節(てんちょうせつ)といって、生ける神としての誕生を祝う日でした。」
そして、
「天長説は、奈良時代に初めて行われました。」
とあります。
つまり、奈良時代から天皇誕生日を祝う習慣はあったと言う事ですね。
ちなみに、この天長節に対して、皇后のお誕生日を地久節(ちきゅうせつ)といって
お祝いをしていた様ですが、現在は廃止されています。
天皇誕生日はいつから祝日になったの?
はてさて、歴代の天皇誕生日を祝日として残していたなら、
そうとうな数の祝日ができても良かった訳なのですが・・・
(奈良時代からあったわけですからね。)
歴代の天皇誕生日が、祝日として残っているのは、
- 明治天皇のお誕生日の11月3日の文化の日
- 昭和天皇のお誕生日の4月29日のみどりの日
の2日だけですね。
大正天皇のお誕生日が、祝日でない理由というのは諸説あります。
- 大正時代が15年間しか続かなかったから。
- 大正天皇はお体が丈夫でなかったから。
- 大正天皇の誕生日は8月31日だったことから、猛暑の中で式典を開催するのを嫌ったため。
本当のところはこのブログでは追求しませんが、ともかく祝日にはなっていません。
では、なぜ明治天皇以前の天皇誕生日が祝日として残っていないのか?
という疑問が出てきますが、その答えは、江戸時代の暦に理由があります。
江戸時代のカレンダー
江戸時代のカレンダーって、どんなのだったんでしょう?
旧暦って聞いた事ないですか?
現代のカレンダーと江戸時代のカレンダーは違います。
江戸時代のカレンダーは天保歴(てんぽうれき)といい、
現在のカレンダーは太陽暦(たいようれき)といいます。
詳しい話は、さておき、明治5年の11月9日に、
この太陽暦を採用すると発表がありました。
当時は、たぶんパニックだったんでしょうね?。
また、江戸時代には祝日という概念もなかった、なんていう節もありますので、
天皇の誕生日を祝日として残すのは、西洋の文化だったのではないでしょうか?
そんな訳で、明治天皇の誕生日から祝日として残っている訳なんですね。
まとめ
- 天皇のお誕生日を祝う風習は、奈良時代からありました。
- 祝日として残す様になったのは、太陽暦が導入された明治からです。
- 明治天皇のお誕生日から、祝日として残っています。
参考文献:子供に伝えたい年中行事:萌文書林