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バレンタインデーが終わると、すぐにひな祭りですね。
我が家は、いつも節分の豆まきが終わると、おひな様を出すのですが結構面倒くさいですね。
子供が小さかった頃は、すぐにさわりたがるので、出すのも一苦労でした。
毎年、子供達が寝た後にゴソゴソと一人で出していました。
翌日、飾ってあるお雛様を見つけて、子供達は「おひな様いつ来たの?」というので、
「昨日ね、夜中にね、ぞろぞろ歩いて来たんだよ?」などど話していました。
大きくなった今では、お雛様を飾るのを手伝ってくれる様になりました。
さて、今回はお雛様の由来について、お話をしていきましょう。
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雛祭りの由来とは?
「子供に伝えたい年中行事」という本によりますと、
「日本では、農耕儀礼の払えの行事として、3月の初めに海や山へ出て、1日を過ごし、身の汚れを洗い流す習慣がありました。
これは、田植えの始まりの季節に、田の神を迎えるためのもので、この時に、紙を人形に切り抜いた人形をつくり、それで体をなでて、汚れを落としたのちに、海や川に流していました。」
とあります。
つまり、もともとは、田植えの神様を迎える為のものだったのですね。
そして、もともとは人形を流す行事だったのですね。
(現在でも鳥取県の因幡地方や和歌山県の吉野川や紀ノ川の流し雛は有名です。)
それが、だんだんと時代とともに、(人口の増加など)川に流すのが難しくなっていきました。
また、技術の進歩とともに、人形が豪華になっていった模様です。
その豪華な人形を流してしまうのは、もったいないと言う事で、今の様な観賞用になっていったと言われています。
ひな人形の意味?
ひな人形は、時代とともに豪華になっていきますが、人の代わりという意味合いは今でも残っています。
災いを人形に代わってもらうという意味合いです。
そのため、江戸時代には嫁入り道具の中にひな人形を入れるようになったそうです。
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なぜ桃の節句と同じ日?
中国では昔、3月3日を上巳(じょうし)の節句といい(3月の初めの巳の日)
けがれをはらうために、お酒を飲んだりする行事がありました。
この行事が、日本に伝わり次第に合わさって、同じ日になったのではないか?と言われています。
上巳の節句は、桃の節句や弥生の節句とも呼ばれています。
まとめ
- ひな祭りは、もともとは、田の神様を迎えるための行事だった。
- ひな祭りは、もともとは、人形を川に流していた。
- 人形は人の身代わりとして、災いよけにつかわれていた。
- 上巳の節句(桃の節句弥生の節句)と、いつの間にか一緒になった。
★色々と調べてみると面白い事がわかりますね?。
色んな行事がありますが、おひな様の由来が、元々は田の神様をお迎えする行事だったとは思いませんでした。
そして、人形に災いを代わってもらう為のものだったとは・・・
本当に昔の人は、色んな所に神が宿ると考えていたのですね。